GMブログ

2008-04-15

[]経験豊富な人ほど満足のいくセッションが行えなくなる理由 19:20

満足のいくセッションを行える割合

 貴方は、満足のいくTRPGセッションを、行えているでしょうか。

 大雑把な割合で言いますと、私は10回プレイした場合、1回は「凄く面白かった。TRPGをして良かった」と、会心の内容をふりかえります。十分に満足のいく結果が得られます。

 他に8回は「まあ、楽しかった。TRPGをしたことに問題は無かった」と、可もなく不可もなく、TRPG以外の趣味時間を費やしても良かったけれど、総じて楽しく過ごせたので、満足のいく結果が得られたと考えます。

 残りの1回は「楽しくなかった。セッションに参加しない方が、良い人生のひと時を過ごせた」と、総じて楽しめなかったり、楽しく過ごせた時間があっても、後悔するような失敗や、不快な出来事があって、満足できなかったと感じます。

 だいたい、そんなところです。

 貴方はどうですか? 大雑把な割合で言うと、どの程度、満足のいくセッションが行えているでしょうか?

満足のいくセッションが行えなくなることがある

 「TRPGを始めた頃は、何もかもが新鮮で、凄く楽しかったのに、最近は満足のいくセッションが行えない」という人を、たまに見かけます。最近、TRPGブログエントリで関連する話題を見かけたので、連想したことをメモしておきます(それらのエントリへの言及ではありません)。

 満足が得られない人は、TRPGセッションで得られる効用が、満足の域に達していないわけで、満足に足ると判断するラインを下げるか、効用を増やすことで、充実したセッションが行えます。

 しかし、満足に足ると判断するラインを下げて、足ることを覚えるくらいなら、世の中には他に、いくらでも楽しいことがあるのですから、TRPGを捨てた方が賢明かも知れません。

 ですから必然的に、TRPGを一番の趣味にしている人達の多くは、効用を増やす方向で活動しています。その過程で論考などに触れ、魅力的な問題設定を行うことを覚える一方で、充実したセッションイデアを追い求めるあまり、魔性にとり憑かれる人も少なくないようです。

 実は、TRPGには、経験豊富な人ほど満足のいくセッションが行えなくなる罠が潜んでいます。

 経験豊富な人ほど満足のいくセッションが行えなくなる理由とは何でしょうか。経験豊富な人だと、どのような展開でも新鮮味に欠けて面白くなくなる・・・と言うと、一見まともそうな理屈ですが、TRPGプレイヤーである貴方なら、それが詭弁であると見抜くのは容易いでしょう。何故なら、TRPG経験が豊富な人ほど、「新鮮味の欠けた毎度同じようなセッション」などというモノとは無縁であることを、貴方は知っているからです。

 むしろ、今回のエントリで扱う魔性は、その逆で、無限の可能性を秘めたTRPGであるからこそ、起こりうる問題です。

過去を後悔するメカニズムとTRPG関係

 経験豊富な人ほど満足のいくセッションが行えなくなる理由は、貴方の目の上のあたり、眉間の奥にあります。文脈依存認知を司る部位(orbit frontal)が、「後悔」を感じさせているからです。満足のいくセッションが行えなかった、と過去を振り返るのは、言い換えると、過去を「後悔」している状態です。

 満足できていないという思いは、ただ漠然と感じることではありません。初心者ならば、何がどう満足できないのか、自分自身わからないこともあるでしょう。しかし、経験豊富な人であれば、満足できないと思った瞬間、それは、満足した場合を想定しています。想定した「反事実」である満足した場合と、「事実」である結果を比べて、「後悔」を感じているわけです。

 普通に考えると、何かで後悔するだけなら、単に事実だけを認識すれば良いはずです。セッションが不満であれば、不満なセッションだけを認識していれば良いはずです。しかし、後悔という感情は、事実だけではなく、反事実も同時に認識することで、意識の中に立ち上がってくるものです。

 例えば、セッションが不満な場合は、「あの判定に成功していれば・・・」「あそこで、このように意思決定できていれば・・・」「何故あのとき、今なら思いつくこの台詞で、上手く返せなかったのか・・・」と、ありもしない反事実を想い、後悔を感じます。人間は、事実を評価するさいに、事実だけを認識するわけではなく、実現しなかった反事実をも認識しているわけです。

 このように、事実と反事実認識することによって、後悔が芽生えると、感じられる幸せが損なわれます。その結果、幸せ(得られる効用)が満足のいくラインをわって、不満足を感じてしまうことが、往往にしてあるのです。

 ですから、この理屈でいうと、想定される反事実は、経験豊富な人ほど豊かで、理想が高い人ほど素晴らしいものであるばかりに、「あの判定に成功していれば・・・」「あそこで、このように意思決定できていれば・・・」「何故あのとき、今なら思いつくこの台詞で、上手く返せなかったのか・・・」「もっと楽しめたはずなのに!」と、満足のいくセッションが行えなくなるジレンマを、抱えざるを得ないわけです。

 TRPGに携わる者にとって、これは、ちょっとした問題です。なにせ、ダイスをふるという行為自体が、判定の正否に関わる事実と反事実認識させる行いです。また、意思決定などは、そのさいたるものと言えましょう。さきほど、無限の可能性を秘めたTRPGであるからこそ、起こりうる問題だと述べましたが、その理由を理解していただけたかと思います。

一人でためこまず、とり憑かれる前に相談しよう

 ちなみに、経験豊富な人や理想の高い人が、「あの判定に成功していれば・・・」「あそこで、このように意思決定できていれば・・・」「何故あのとき、今なら思いつくこの台詞で、上手く返せなかったのか・・・」と、思い悩むだけなら良いのですが、他人にまでそれを求めて、「貴方が、あの判定に成功していれば・・・」「貴方が、あそこで、このように意思決定できていれば・・・」「貴方は何故、あのとき、私なら思いつくこの台詞で、上手く返せなかったのか・・・」などと言い出したら、もう完璧魔性にとり憑かれた状態です(笑)

 そこまでくると、さすがに手遅れかも知れませんが、想定される反事実が豊かで素晴らしいものであるばかりに、満足のいくセッションが行えなくなる、というジレンマを解消する方法は、いくつかあります。

 おそらく熟練のTRPGプレイヤーであれば、このような問題は、とうに乗り越えているでしょう。問題とすら認識せず簡単に通り過ぎているかも知れません。なので、信頼できる先輩のいる方は、その人に聞いてください。

 とはいえ、中には「先輩なんか居ないから教えろ」と言う初心者の方も読みに来ているかも知れませんので、以下に、私なりの解決策を、ひとつメモしておきますね。ひどくメンタルな話なので、当然、参考にならない人もいるはずです。あしからず御了承ください。

後悔しない方法を考える

 今回のエントリでは「事実で得られた結果が、想定される反事実よりも劣っていた場合、後悔を感じ、効用を損ない、それが不満足につながることもある」と述べました。実は、逆に「事実で得られた結果が、想定される反事実よりも優れていた場合、効用は増します」。このことを踏まえて、以下のようにアドバイスを送れると思います。

 無限の可能性を秘めたTRPGであるからこそ、理想も無限に高くなるわけですが。目の前の卓にも、無限の可能性があることを忘れないでいただきたい。ありもしない理想を見上げてばかりいないで、手に触れられるほどの距離に内在されたリッチなインフォメーションを、わざわざ見逃す手はないですよ、と伝えたいですね。

 TRPGパーティーゲームですから、個人が完成して掲げた理想に邁進するだけで、事が成せるはずがありません。高い理想であればこそ、到達は難しいですし、他の参加者が加わることによるセッション偶有性が、それを阻みます。むしろ、無限ともいえる豊富情報を内在したセッション事実から、その場で、その面子で、その時しか感じられなかったことを、確りと掴み取り、活用して楽しむことを主眼にした方が、より現実的です。

 その場で、その面子で、その時しか感じられなかった一期一会の「良い点」を共有し、積み上げることで、その現場でしかありえなかった、皆が面白いと思う展開を目指す体験は、そのセッションでしか有り得なかったのですから、反事実想像し難い、ということです。

 そして、一期一会事実に、反事実を凌駕するほどの効用を見出すセンス(と思考法)が、現場においては、理論を越えて働くと確信するものです。

それでも駄目なら

 「屁理屈だ!そんなこと言われたって、想像した反事実の方が面白そうだった!」

 と言われたら、こう答えましょう。

「ようしわかった。現実以上に楽しい想像ができたなら、今度はそれをネタに、もうひとセッションやろうぜ!!」と、あくまでも爽やかポジティブに返したいと思います(笑)

[]当たり前のことでつながる 19:20

 TRPGを続けていると、うまく楽しめなくなる時期があると思います。

 大抵の場合は、大げさなことではなく、「最近、ちょっとツマラナイな・・・」といった、漠然とした思いを抱く程度のことです。

 こうした状況に直面したとき、TRPG好きを自認する人であれば、「満足のいくセッションが行えない・・・」と過去を振り返ってウジウジ悩むくらいなら、もっと遊んで、もっと力を注ぎ、実践をもって、TRPGをより楽しくしようとするでしょう。

 あるいは、研鑽を積みながら遊び続けようとする人であれば、満足のいくセッションが行えない理由を特定し、むしろ、これを魅力的な問題設定と捉えて、解決を図ること自体に喜びを見出すかも知れません。

 上記のような背景から、長くTRPGを続けている人達は、遊戯を行う上で大小様々な問題に直面しながらも、それを乗り越えてきたタフ(いわゆるTRPGマッチョ)な方が多いという印象があります。

 一方で、TRPGを始めたばかりで、まだそれほどTRPGという遊戯に執着の無い人であれば、「最近、ちょっとツマラナイな・・・」といった、漠然とした思いを抱いたり、「満足のいくセッションが行えなくなりつつある」という兆しが見えた時点で、TRPGから離れてしまうかも知れません。

 TRPG人口の拡大を推し進めるなら、ここは軽視できない部分だと思います。

 ですから、大小様々な問題に直面しながらも、それを乗り越えてきたタフ(いわゆるTRPGマッチョ)な方が「今更、言うまでもない当たり前のこと」と考えている「満足のいくセッションが行えなかった理由」や「その解決策」には、一定の価値があると考えています。

 こうした「今更、言うまでもない当たり前のこと」は、専門誌に掲載するだけではなく、ブログなどで開示することでも、初心者のTRPG離れをふせぎ、市井からのTRPG人口の下支えになるのではないでしょうか。

 まあ、私自身、TRPG業界企業)がどうなろうと知ったことではないと考えているので、「だから当たり前のことでも書きましょう」などと奨励するつもりはありません。

 ただ、もしもエントリが誰かの幸せにつながるなら、それは素晴らしいことだと思います。

 先日、TRPG界隈で有名な方に挨拶したとき、私がその方に直接何かをしていただいたわけではないのですが、その方の影響から、回りまわって多くの喜ばしい機会を得たことについて、感謝している旨を伝えたところ、はじめましてでしたか、と互いに互いを以前から知り合っているかのように認識していたことを知りました。

 この体験を通じて、あらためて、TRPG界隈という漠然としか認識できないコミュニティの枠を、おぼろげながら共有する人々がいること。そして、そこから私が受け取ってきた多くの幸せと、抱いた感謝の気持ちは、「今更、言うまでもない当たり前のこと」を書き続けることで、連鎖していくのではないか、ということを考えました。