GMブログ

2008-09-16

[]TRPGブロガー入門 09:14

f:id:inouekari:20080912013952j:image

 ネット上での批評をめぐる言論を眺めているうちに、吉田アミ氏が『ヨイコノミライ 完全版』(4)きづきあきらより引用した、強烈なエントリを思い出したので、同様に貼ってみました。

 このコマの後に続く言葉が好きです。

 「誤解しないでね。私、本当の批評家は大好きよ。作品への新しい読み方を提示して、作品と作家と読者に、新しい道を拓いてくれるから。」

 どうもTRPG界隈の批評活動は、旨く運んだためしがないような気がしています。

 TRPG界隈において、批評活動を行うさいに気をつけるべきことは何か。そしてまた、エントリ批評対象となる前に、TRPGブロガーが持つべき心構えとは・・・。

 そういった基本的な事柄の確認を、すっ飛ばしたまま、長年ドンパチやってきた結果、無益な過去反省し、諍いをよしとしない儀礼的無関心が台頭してきたのかも知れません。

 「ロールプレイ」と「なりきり」に ついて書くなど、TRPG界隈で活動していたiwatamさんが、ネットの議論は低レベルだ!と言って「議論のルールブック」を書いたのも、何か象徴的なことのように思えてしまいます(穿った見方ですけれど)。

議論のルールブック (新潮新書)

議論のルールブック (新潮新書)

 まあ、私自身、現状に不満はなく、TRPG界隈での批評活動が盛んになった方が良い、と考えているわけではありません。ただ、このままですと、ブログにTRPGについて書くのが躊躇われるほどに、批評という行為が禁忌されてしまうのでは、と危惧することがありまして、このエントリを書くことにしました。

 これからブログを始めて、TRPGについて書いてみたい人に対して、また、批評や、批評への批評を行いたい人に対して、私が気をつけていることを紹介させていただきます

 もちろん、「俺様の素晴らしいリテラシー教授してやるぜ!」という内容ではありません。それができるなら、とっくに凄い批評を書いています(笑)

 むしろ、拙いブロガーではありますが、「このくらいは気をつけるべきと考えているのですが、どうでしょうか~」という内容なので、参考にならん!と怒るのは勘弁してくださいね(汗)。

はじめに

 感想批評定義は、人によって異なります。このエントリでは、感想批評の違いは、ただ思ったことを書くのか(感想)、そこに評価を含めるか(批評)、の違いであるとします。

 私は、感想だろうが、批評だろうが、何でも好きに書いて良いと考えています。

 と同時に、自分の考える「守るべきルール」みたいなものを主張するのも、自由であると考えています。そのような主張を行う人が、自分の考える「守るべきルール」から外れた誰かの感想批評に対して、批評を行うのも、また自由でしょう。

 ただし、「守るべきルール」を提示された側は、自ら納得するか、強制力が働かない限り、それに従う道理はありません。

批評が好きです

 その上で、私は批評が好きであることを明言します。

 ともすれば、批評や議論というものは、想定する何者かを(世間一般の認識や、特定の思想を持つ人物といった、曖昧な仮想敵が対象の場合もあります)論破することのみを、目標としているように認識されがちです。

 しかし、批評や議論を通して、「私はこう考える」という意思を伝えたところで、相手に何某かの行為を促したり、認識を改めさせるのは困難です。ましてや、ネットにおいては、細かな用語の定義を定めながら、建設的な対話を進めることは稀ですから、発信した情報が思惑通り正確に相手に伝わることは期待できません。

 よって、ネットにおけるブログ等の個人メディアを用いた批評や議論は、何者かを論破することを目標とした場合、そもそもの意味さえ問われる存在ではないでしょうか。

おとなの小論文教室。

おとなの小論文教室。

 ですが、私はそのような認識は持っておりません。私は批評が好きなのです。

 何故なら、批評や議論を通して、自分とは違う視点で物事を見ている人の考えに触れるのは、とても楽しいことだからです。

 批評や議論は、己の主張を通すために何者かを論破することのみが目標ではなく、本質的には、あくまで自分の意見を述べることであり、相手の話を聞くことではないでしょうか。

 個人的に、批評を読むことは、他者の持つ自分とは異なる視点を得ることで、物事の多面的な捉え方を知る、良い切欠であると考えています。また、議論とは意見交換することである、と捉えた場合、相手を単に論破することを目標とするよりは、有意義であるように感じられます。

書き手の姿勢

 以上を踏まえて、自分が書き手となった時に気をつけたいことは、「この文章は何を意図して書くのか」を意識することです。

 例えば、もちろん議論において、論破を意図しても良いでしょう。しかし、論破が目的であることを対象に気づかれなかった場合、単なる補足や異論として、スルーされてしまう可能性は高まります。

 ですから、「この文章は何を意図して書いたのか」が、なるべく読み手に伝わるように心がけると、様々な誤解と、そこから生じるトラブルを回避できて、有用であると思います。

読み手の解釈

 貴方ブログエントリを書き、それに対して反応があって、何らかの意見が書かれたとき、貴方は文脈から相手の意図を読むでしょう。しかし、そこで意図を読み違えると、文脈の捉え方が大きく変わり、書き手の意図とは異なった解釈から、誤解が生じる可能性が高まります。

 想定される意図を、幾つか上げて見ましょう。

 感情的に反発している(悪口・罵倒侮辱・誹謗・中傷)。反対している(反論)。別の考え方を示している(異論)。理解できずに混乱している(疑問)。理解しかねて訊ねている(質問)。確認している(確認)。抜けている視点や要素を指している(指摘)。記事の訂正や認識の改めなど、何かを要求している(要求)。

 これらのうち、いずれの意図であっても、ひとつ解釈を間違えれば、まったく噛み合わないのは明白ですね。

 以下に、特に生じ易い誤解として、気をつけたいことを二点述べておきます。

ネガティブ意見だと誤解される

 書き手は「反論・異論・疑問・質問・確認・指摘」のつもりなのに、読み手が「悪口・罵倒侮辱・誹謗・中傷」と受け取ってしまうことが往々にしてあります。

 これは書き手が、端的な文章で余計な修飾語を使わないこと。また、読み手が、相手の意見から主旨を読みとるように心がけることで、トラブルの回避に努めるしかありませんね。

 この誤解が生じると、言うまでもありませんが、非常に致命的です。関係を切られてしまうかも知れません。

感想ではなく批評だと誤解される

 単なる個人的な感想を書いたつもりが、批評であると受け止められて、議論を吹っかけられることがあります。自分のブログで、たわいの無い感想を述べていたはずが、いつの間にやら、論客の包囲網が敷かれていた!なんてことも、あり得るわけです(笑)

 こういう目に会うと、ただの感想も書けない個人ブログって、いったい何なんだろう、という気持ちになるかも知れません。ひょっとすると、「TRPGについて、ちょっと書いてみたいけれど、叩かれるのが怖いなぁ」といった具合に、新たなTRPGブロガー新規参入を阻む空気が、今のTRPG界隈には、あるのではないでしょうか。。

ネット時代の反論術 (文春新書)

ネット時代の反論術 (文春新書)

 TRPG界隈は特殊なコミュニティです。他の界隈で言うところのオフ会的な、コンベンションなどでの交流が盛んであることから、ハンドル実名に近いかたちで使われています。ですから、知っている人が、地方スレなどでボコられている姿を見た場合、オフでは無関係な者同士が匿名で罵りあう一般的なネットでの叩きと違って、その生々しさは尋常ではありません。ちょっとした風評被害です。

 なおさら、少しでも目立たない方が良いのでは、と考えてしまうのではないでしょうか。これが行き過ぎると、批評どころか、シナリオの公開や、レポートの掲載すら憚られる風習が生まれるのではないか、と心配しています。

批評だと議論をふっかけられるのは何故か

 そもそも、何故、感想ではなく批評だと誤解された場合、議論をふっかけられる可能性があるのでしょうか。それには、理由があります。

 このエントリでは、感想批評の違いは、ただ思ったことを書くのか(感想)、そこに評価を含めるか(批評)、の違いであるとしました。評価、すなわち価値見積もるという行いは、個人の中で完結しません。価値があると「思う」のは、感想であり、暗黙知です。暗黙知言葉や体系にした、「共有可能な知として指し示す」形式知こそが、評価であるといえます。

 要するに、それがどう面白いのか、それがどう面白くないのかを、他人に自分がどうしてそう思うのかを伝えられ、納得させられるものが「批評」であると、認識されることが多いわけです。

 したがって、「批評」であれば、個人の感想として完結せずに、ある程度は客観的な事実に基づいた内容があり、理解できる理屈が示されなければならない、と考える人がいて「俺にも分かるように、客観的な事実や納得できる理屈を示して見ろや」と議論をふっかけてくるわけです。これは恐ろしい!(笑)

 感想批評勘違いされないためには、「私は~と感じた」だとか「これは個人的な感想ですが~」などと、予防線をはっておくことが有効です。

多くの人に読まれる

 いずれにせよ、自分がネット上に文章をあげることによって、それを多くの人が閲覧し、様々な反応を返してくることを、覚悟していた方が無難でしょう。

 多くの人の目に触れることになれば、書いてある内容に不満を持つ人の数が増えるのは当然のことです。また、書いてある内容を誤解する人の数が増えるのも当然のことです。

 そのことを理解せずに、感想へのネガティブな反応が殺到したところで、「そんなつもりではなかった」「そんなこと知らなかった」と言っても、事態がおさまることはありません。

勘違いされることもある

 何かについて否定的な意見を述べた場合、「それって俺のこと言ってんの?」と、想定外の人物が突撃してくることがあります。同様に「それって俺の友人のこと言ってんの?」というパターンもあります。クリリンのことかー!

 誰(どのような層)に対して、何を伝えたいのかを明確に示していれば、そのような誤配は減らすことが出来ます。また、ある立場からの発言ならば、意味が通じる、あるいは、理解できる、納得できる、適切な言葉である、などと受け入れられることもあります。

 どのような立場から、誰(どのような層)に対して、何を伝えたいのか・・・といった、スタンスを表明しておくことも大切ですね。

善意に解釈されることを期待しない

 書き手は様々な事柄について、考慮したうえで書いているのかも知れませんが、読み手は「こんなことも知らないのか」だとか「この場合のことを考えていない」といった具合に、書かれていない部分を勝手に判断するものです。

 「それは考慮していますが、趣旨から離れてしまうので省略しました」と反応するのが億劫になるほど、読み手は、書かれていない部分について指摘するものです。そういうものである、と考えておかねば、心労は絶えないでしょう。

 なお、私が人のブログを読む時には、なるべく善意に読み解くように心がけています。たまに「この人はあのシステムのことを知らないのかな」だとか「このようなケースを考えずに言っているのか?」と穿ってしまうことがあるのですが、そう考えるときりが無いので、言及するなら、善意に解釈した上で、相手の書いたことや、言ったことのみを対象に語るべきだろうと考えています。

 関連して、他人の思惑を想像するのは勝手ですが、その勝手想像を根拠に誰かを揶揄するような人は、好きになれません。

ブログ炎上 ~Web2.0時代のリスクとチャンス (アスキービジネス)

ブログ炎上 ~Web2.0時代のリスクとチャンス (アスキービジネス)

 トラブルが発生し、対処できないほどに炎上してしまった時は、ひとまず何もせずに、気分を落ち着かせてから行動するべきです。一度コメント欄を閉じるのも良いでしょう。新しい記事でエントリを流すのも、事態を沈静化させる有効な手段です。

 個人的に、どちらも好ましい行為とは思いませんが、追い詰められて苦しいのなら、我慢せずにそうしていただきたいと思います。

 自分の考える「守るべきルール」として、「返事は必ずしなくてはならない」を掲げる人が出てきますが、回答を求める欲求は理解できるものの、相手の身勝手な欲求を満たしてあげるために、返事をする義務感を感じ、鬱陶しさや息苦しさを感じる義理はありません。嫌なら無視しましょう。返事をする義務感に苛まれ、心を押し潰されそうになっている人を、非常に多く見かけます。レスは任意です。

 なお、そうした局面で「議論をするつもりはない」と述べるのはけっこうですが、そのように考えているのなら、反応を返さないことで、議論を発生させないのが、効率の良い在り方であると思います。

 また、今まさに炎上して「そんなつもりではなかった」「そんなこと知らなかった」と言う人達に対して、「貴方が辛いのは世間のせいではなく、貴方自身の選択なのだ」と自己責任論を述べる方が現れるのが、世の常ですけれど、苦しんでいる人の目の前で、それを口にするこの人は、親切なのかサドなのか、と疑問に思われる可能性があることも記述しておきます。

議論の流儀を破ってはいけない

 自分が言いたいことを自由に言えるのがネットの良いところです。もちろん、法や利用規約に反するのはいけないことですし、誰かに嫌な思いをさせる行いは、避けるべきであると考えています。しかし、基本的には自由です。

 自由ではありますが、議論には「公正なる言論によって行わなければならない」という流儀があります。正確には、そのような矜持を抱く人が多い、ということですが、兎も角、この流儀を破ることだけは、しない方が無難です。

 特に、自分の考える「守るべきルール」みたいなものを、自分以外の人に適用し、自分だけは対象にしない行いは、著しく公正を欠き、信用を失う恐れがあります。

 以下に、そうはならないように気をつけている具体例を、幾つか挙げておきます。

匿名での意見は信用ならねぇ、と匿名で語る。

上から目線でモノを語るな、と上から目線で言う。

批評活動をしておいて、いざ自分が批評された時に、それを批難する。

・遊ぶ価値も、読む価値も無い!と言いつつ、自分は作品や執筆者に粘着する。

・面と向かって言えないことを人に言うな!と面と向かわずネット上に書き込む。

批評と称して、エスパーのごとく書き手の思考を読み取った上で、書かれていないことに反論し、想定した人物像を批難し、こんなことを考えているのだろう、と勝手想像して嘲笑しておきながら、いざそれをされると「ちゃんと読んでから言え。俺はそんなこと思ってないし、書いてもいねーよ!」と逆ギレする。

 半分冗談ですが、わりと洒落になっていません(笑)。もちろん、上に挙げた例は、一概にそう言えることではないのですが、要するに、相手にされて嫌なことを、自分がしちゃいけないよね、ということです。

誰もが納得できる批評なんて無い

 ここまでは、相手の発した言葉を正しく読み解くように心がけ、また自分の言葉も正しく伝わるようにしたい、という話をしてきましたが、実際、批評の難しさは、もっと深いところにあります。

 批評を書いたときや、議論のさなかに、否定的な意見や、理解不能である、という見解がよせられた時は、つい「うまく伝わらなかったんだな」とか「言葉定義について、すり合わせ出来れば納得してくれるだろう」なんて考えてしまいがちです。

 しかし、それは大きな間違いであって、どこまでいっても「理解は出来るが納得いかない」ということが、世の中にはあるわけです。

 例えば、「昔のゲームは良かった、今のゲームはつまらない」という主旨で、批評を展開する人がいた場合、「昔」とはいつのことか。「昔のゲーム」とは具体的に何のことか。そもそも「良い」って何だろう。「今」や「今のゲーム」そして「つまらない」とは、どのような意味か?確りと定義を定めていけば、やがて誰もが納得できる・・・わけでは、ありませんよね。「そのように判断した理屈は理解はできるが、考え方には賛同できず納得いかない」ことがあります。

 人は立場や経験が違えば、視点も変わりますし、価値観は多様です。人間は完全な客体を得ることは出来ませんから、客観視にも限度があります。実証可能なものであれば「事実はこうだ」と納得させることは可能かも知れませんが、そうでなければ、批評の行き着く先は、結局のところ「俺はこのように思う」でしかありません。

 したがって、人は立場や経験が違えば、ある人には的確な批評に思えても、ある人にはそうは思えない、ということがあるわけです。

誰もが納得するTRPG批評

 これは、「誰もが納得できる批評なんて無いのだから、批評って意味がないよね」だとか「もう何でも適当に書いちゃえば良いんじゃない?」という話ではありません。逆に、誰もが納得できる批評なんて無い、という前提をおさえた上で書かれた批評こそが、TRPG界隈には必要だと思うのです。

 誰もが納得できる批評なんて無いのだから、誰もが納得する正しいTRPGや、正しいプレイ、正しいマスタリング、正しいデザインなんてのも、全部無いわけです。

 そのうえで、「俺の考える楽しいRPG」や、「楽しいプレイ」、「楽しいマスタリング」、「楽しいデザイン」を、自由闊達に語らう中で、誰もが納得する遊び方という幻想大きな物語)を捨て、新たな価値観(小さな物語)を創出していく時期にあるのだと感じています。

誰もが理解するTRPG批評

 ではTRPGにおける批評は、どのように展開すれば良いのでしょうか。

 心情的に納得してもらう批評を書こうとした場合、それは「誰もが納得する遊び方」という幻想にとらわれた、価値観押し付けや、価値観の否定に繋がりかねません。

 ですから、TRPGにおける批評活動は、ある価値観に基づき評価するならば・・・と論者の立場を明確にしたうえで、論者がそのように判断した理屈を(心情的に納得してもらう必要はなく)理解してもらえるような、理路整然とした思考法(新たな価値観)の提示によって、行われることが好ましいと考えます。

 具体的には、ログアウトの批評企画で、扱うテーマの再現性という観点から、TRPGシステムについて考えた朱鷺田氏の批評システムを評価することと、メカニズムポリシー間の相互作用を観察することは必ずしも一致しないとしながらも、その提唱を真として、一般のロールプレイングゲームシステムの評価法について議論したVampire.S氏の批評

 このような、誰もが(そのように判断した理屈を)理解できるように書くことが、暗黙知形式知化、ひいては「批評」と呼ぶに足る文章を書くことに繋がるのだと考えます。

 「理解は出来るが納得いかない」状況があるならば、納得させようと躍起になるのではなく、理解してもらえるように努めるしかないのだ、と思うのです。

悪魔の代理人

 雑誌広告批評」主宰者である天野祐吉氏は、「批評」が対象を抹殺するためのものと誤解されていると語りました。そして好ましく思うのは、対象を育てる「批評」であると言います。そのうえで、相手が「こんなこと考えていやしないだろう」と思う部分を責めるのではなく、「こんな考え方で見ると、さらに魅力的になる」と提示するのが粋であるとも言います。

 一方で、学問世界には、デビルズ・アドボケートというものがあります。もともとは、聖職者の教義を強くするために、悪魔役の人物が攻撃的で否定的な論を投げかけるというものです。これも、対象を育てる「批評」です。

 育てる、なんて言うと偉そうな話ですが、私もそのような批評が好きです。

 ただ、好きなものを批評する時には理性が働くものですけれど、嫌いなものを批評しているうちに、悪魔の代理人が、いつの間にか本物の悪魔になってしまうことって、あるんじゃないでしょうか。

 攻撃的な批評が相手を潰してしまった場合、賛同者からは拍手喝采を浴びるかも知れませんが、結果として見ると、TRPG界隈に、またひとつ無益な批評が増えた、という認識しか持たれないのではないかと思います。

 自戒の念をこめて、ここに記しておきます。

APlalaypoucougAPlalaypoucoug2018/03/28 23:49 First things first, you need to set a fixed target date for when you will completely quit, for example several weeks from now. Thus, if the muscles within the penile area are relaxed, more blood will enter the penis and a hardon will occur.
https://www.cialissansordonnancefr24.com/cialis-a-vendre-a-montreal/

2008-07-29

[]充実したセッションを行う、たったひとつの秘訣 05:38

 貴方は、充実したセッションを、行えているでしょうか。

 私は「今日は上手くいったなぁ」だとか、「楽しい時間を過ごせた」とプレイを振り返ることが出来たとき、充実したセッションを行えた、と感じます。

 当たり前のことですが、毎度プレイを行う前は、「充実したセッションを行おう」と考えて、セッションに臨んでいます。ところが、漠然と「充実したセッションを行おう」と考えていても、なかなか思うように行きません。

 また、自分がGMをする時には、当然、プレイヤーの皆にも、「充実したセッションを行えた」と感じてもらいたいものです。しかし、これが口で言うほど容易ではないことを、GM経験者の方であれば、皆さん同意していただけるのではないかと思います。

意図的に充実したセッションを行うことは難しい

 実際のところ、狙って充実したセッションを行うのは、なかなか難しいことですよね。

 誰だって、出来ることなら、毎度、充実したセッションを行いたいものです。であるにも関わらず、狙って充実したセッションを行うのが難しい事には、それなりの理由があるのでしょう。

 例えば、「今日は上手くいったなぁ」と振り返った時に、充実感を得ると言うのなら、上手くいく、とはどのようなことなのか。あるいは、「楽しい時間を過ごせた」と振り返った時に、充実感を得ると言うのなら、楽しい、とはどのような時に感じるものか。これらは、まったくもって、人それぞれとしか言いようがありません。また、その時々の環境によって、上手いと感じる要素や、楽しいと感じる事柄は、違ってくるでしょう。

 であるならば、狙って充実したセッションを行うのが難しいのは、至極当然のことのように思えます。

 したがって、充実したセッションを行うための万能の方策を探るのは、途方も無く難しいことであり、私に手のおえる問題ではありません。ひと口に充実したセッションと言っても、その意味が幅広いのです。ですから、ここでは、充実したセッションに至る筋道のひとつを挙げて、そのコツについて焦点を絞り、述べさせていただきます。

充実したセッションを行うために必要なこと

 充実したセッションを行うために必要なこととは、いったい何でしょうか。

 私は、充実したセッションを行うための、いくつかの筋道を比較するうちに、一番簡単で、最も効果的な、あるコツに着目しました。そのコツとは、達成感を感じる(感じさせる)ことです。何かを成し遂げ、達成感を感じた時、人はセッションに対して好印象を抱きます。達成感が、充実したセッションに繋がるわけです。

 では、達成感を感じる(感じさせる)ためには、何をすれば良いでしょうか。答えは簡単です。目標意識する(意識させる)ことです。目標さえ見えていれば、達成への道筋が見えてきますし、何かを成し遂げたさいに、それを明確に感じ取ることが出来ます。

おおきく振りかぶって(9) (アフタヌーンKC)

おおきく振りかぶって(9) (アフタヌーンKC)

 目標意識する(意識させる)ことの重要性を示す良いエピソードとして、「おおきく振りかぶって」のひとこまが挙げられます。主人公チームが相手チームに対して、コールド勝ちを狙うという御話です。

 この話では、ただ試合に勝つだけでなく、「コールドで勝つ」と言葉に出したことで、選手達が目標意識する場面が描かれています。

 ここで重要なのは、「コールドで勝つ」と言葉に出さなくとも、試合をすれば自然コールドになることもあり得る、ということです。しかし、結果としてコールドになった場合と、目標として意識してコールドにした場合とでは、言うまでも無く、達成感に大きな違いがあります。

PLとして、達成感を感じるために、目標意識する方法

 また、この御話では、あえて目標言葉にしたことで、選手達は戦略上のメリットに対する認識を共有しました。それによって、共通の目標(ゴール)を目指すことが可能となり、個々人がバラバラの目標(ゴール)に向かって動き、迷走する心配は無くなります。そして、誰かが失敗した時には、正しい方向に導くため、的確なフォローをすることが可能でしょう。

 一方で、目標言葉にして出さず、一人だけの目標として、心の内に抱え込んでいたなら、どうでしょう?結果が出ても、それは単なる独りよがりで終わってしまいます。しかし、この御話では、目標言葉に出し、共有したことで、達成の暁に、共同で作業を成し遂げたという、チームとしての連帯感が生まれました。つまり、個人で目標の達成を認識するだけでなく、それを認めてくれる他者が存在することで、何事かを成し遂げたという意識を、より強く確かなものとして、感じ取ることが出来たのです。

 これは、TRPGセッションにおいても同様です。PLとして、達成感を感じて、セッションを充実させたいなら、まずは目標言葉にして出し、意識することです。

自然目標認識させる仕組み

 ちなみに、達成感を感じる(感じさせる)ために、目標意識する(意識させる)というコツは、ある程度経験を積んだTRPGゲーマーであれば、無意識のうちに活用しているテクニックです。しかし、初心者が自発的に行える楽しみ方ではありません。デザイナーはこれを考慮して、TRPGシステムに、自然目標認識させる仕組みを組み込んでいます。

 いわゆる狭義のFEARゲーにおいては、セッションの内容を評価したうえで、経験点を与えるというシステムが、達成感を感じる(感じさせる)ために、目標意識する(意識させる)仕組みとして、参加者のTRPG経験の多寡に関わらず機能します。

 関連して、FEAR系のライターが、そもそも前提として「セッションが始まって、きちんと終わること」が大切であると、雑誌などでたまに書いていますね。当たり前のことだと思われるかも知れませんが、これをあえて掲げることには、それなりの意味があります。

究極の会議

究極の会議

 国際大学GLOCOM主任研究員の鈴木健氏は、著書「究極の会議」の中で、あるふたつの逸話に触れています。ある日、社長会議するときに、開口一番「この会議のゴールは何ですか?」と問われたのだそうです。また、グーグルの検索製品担当副社長のマリッサ・メイヤー氏が、会議のコツとして「明確なアジェンダを設定する」ことを挙げたと記しています。

 「究極の会議」では、このふたつの逸話を用いて、良い会議の行える条件が端的に示されます。それは、会議が始まるまでに「この会議はいったい何を議論するため(=会議のゴール)に、どのような時間の使い方をするのか」ということを、参加者意識することが重要である、ということです。

 いわゆる狭義のFEARゲーにおいて、ゴールはシステムが規定するエンディングフェイズです。アジェンダは、トレーラーやハンドアウト、オープニング・フェイズなどを通して、時にはクエストといった明確なカタチをもちながら示されます。

 このように、TRPGシステムには、ビジネスの最先端で活用される会議術にも通じる、数々の仕掛けが施されている・・・と言うと、大げさかも知れませんが(笑)、なかなか興味深い点ではないでしょうか。

GMとして、PLに達成感を感じさせるため、目標意識させる方法

 ここまで書くと、ではGMをする時には、常に目標言葉にして口に出し、PLに明示してやれば良いのだな、と考えてしまいがちです。しかし、それでは不完全ですよね。

 もちろん、「このシーンは〇〇を表現するシーンです」だとか「このシナリオで〇〇を倒して世界を救ってください」と、言葉にして、明確に目標意識させるのは、ひとつのマスタリング・テクニックと言えましょう。しかし、さらに一歩踏み込んだ技術があります。

 それは、「このシーンは〇〇を表現するシーンです」とGMが言うのではなく、「このシーンは〇〇を表現したい」とPLに言わせる、あるいは、「〇〇を倒して世界を救ってください」とGMが言うのではなく、「〇〇を倒して世界を救う!」とPCに決意させるような、目標を引き出す技術です。

 GMが次から次へと目標押し付けていては、いずれ吟遊詩人になってしまうかも知れません。一方で、PL自らが目標を設定できたなら、モチベーションは高まりますし、目標を達成したさいに感じる充実感は、さらに大きなものとなるに違いありません。

GMとして、PLの目標を引き出して、意識させる方法

 GMとして、PLの目標を引き出して、意識させたいなら、まずはキャラクター・シートによく目を通しながら、設定について対話を行うことが必要ではないでしょうか。

 キャラクターが何らかのスキルを取得していたなら、プレイヤー自身が深く意識していなくとも、潜在的に、それを上手く使うことを目標にしたいと思っているのかも知れません。また、変わった設定のキャラクター像を描いていたなら、そのキャラクターらしさを演出してみたいと思っているのかも知れません。

 実際、TRPGプレイヤーは、キャラクターの個性を活かして物語に絡もう、あるいは、戦闘で活躍しようといった、様々な目標を、プレイ前や、プレイ中に、いくつも自己設定します。どの程度意識的に行うかは、時と場合によって異なるでしょうけれど、TRPGを楽しむことに長けたベテランほど、より意識的に、より多様な目標を、自らに課す傾向があります。このエントリでは、そういった目標言葉にして、周囲に伝えることが、充実したセッションを行うための、ひとつのコツであると書きました。

 一方で、GMの立場から、これをサポートするためには、目標を、より具体的な言葉として引き出すことが重要です。

思ったことを口に出す

 大抵の場合、作りたてのキャラクターには、漠然とした設定があります。プレイヤー自身、なんとなく、こんなセッションがしたいなぁ、という希望や、セッションを通してキャラクター像を固めていこうという考えが、おぼろげながらあるはずです(もちろん、始めからきっちり仕上げてくる設定マニアな人もいますが、ここでは割愛します)。

 そこで、私がGMであれば、クールキャラクターをやるつもりなのかな、と思ったら「クールキャラクターですか?」と問います。熱血なキャラクターなのかな、と思ったら「熱血なキャラクターですか?」と問います。とても単純なことですが、ここでGMの認識を伝え、コンセンサスを得ること。そして、プレイヤーの口から言葉にしてキャラクター像を引き出すことに意味があります。

 ここまで仰々しく書きながら、「クールキャラクター」だとか「熱血なキャラクター」なんて、随分とレベルの低い話だなぁ、と思われるかも知れませんが(笑)、私は巧いGMではないので、高度で具体的な目標を的確に引き出す自信のある方は、より高いレベルトライされると良いでしょう。

 少なくとも、これはと思ったことを、どんどん口に出していくことで、プレイヤーセッションに臨むにあたっての、何らかの手助けになるはずです。プレイ中に、何がしたいのか考えてもらうためには、何が出来るのかを知ってもらう必要があるので、様々な可能性と選択肢を示す意味でも必要なことでしょう。そして、間違いなく、ここで引き出した情報は、漠然としたキャラクター設定から、魅力的で挑戦しがいのある、具体的な目標を引き出すための、材料を見つける第一歩となるでしょう

簡単なことから始める

 むしろ、目標を引き出すという行為を、仰々しく、難しく捉えずに、もっと簡単で気軽に、プレイヤーの「こんなことがしたいなぁ」といった気持ちを、言葉として引き出してあげることが大切なのだと思います。

 なんとなく、結果として「こんなこと」になった場合よりも、「こんなことがしたいなぁ」と言葉にして、「こんなこと」になった場合の方が、達成感が得られるのですから。

 加えて、「こんなことがしたいなぁ」と言葉にしていて、実際に「こんなこと」が出来たなら、「こんなこと」になったね、と指摘し、認めるのも、GMの大切な役割でしょう。前述しましたが、個人で目標の達成を認識するだけでなく、それを認めてくれる他者が存在することで、何事かを成し遂げたという意識は、より強く確かなものとなります。

 最近は、プレイヤーを褒めることを、重要なテクニックとして挙げる記事を見かけますが、闇雲に褒めても逆効果なことは、以前のエントリで指摘しました。最も効果的なプラスストロークは、プレイヤー自らが設定した目標を、プレイヤー自身が達成したと認識したときに、それを認めてあげることだと思います。

 以上。まあ、へっぽこな技術しか持たない私ですが、こんなことを考えながら、プレイしていますよ~、と備忘録がてら書かせていただきました。

 TRPGプレイヤーエスパーではありません。異なる嗜好を持った様々なプレイヤーと卓を囲む現場においては、思いを言葉にして伝えることなくして、意思の疎通はなりません。目標脳内に描いただけで通じることはないでしょう。であれば、言葉を尽くすことのみが、異なる存在が互いに理解に至るための、たったひとつの道ではないでしょうか。

 なお、このブログでは毎回のことですが、エントリで扱うコツは、ベテランの方にとって、空気を吸うのと同じくらい、無意識のうちに行っている、当たり前の技術のはずです。ですが、それを意識的に行うことで、より効果的に、また、誰もが容易にことを成せるという点で、それなりの意義と需要があるのではないかな~、と思いつつ書いております。

 それなりに使えると感じたり、もっと良いコツや、いやいや違うだろ、といった異論反論がありましたら、それをネタに、仲間内で話し合ってみてはいかがでしょうか。面白い反応があるかも知れませんよ。

2008-07-12

[]TRPG進化論 05:52

RPGは衰退しました

 TRPG界隈では「TRPGは衰退している」「いや、していない」といった話が、思い出した頃に起こり、噛み合わないまま、やがて沈静化するという流れを繰り返しています。

 普通に考えますと、流れが繰り返されるのは、それを目新しく感じ、ホットな話題として扱う新しい層が次々と流入している・・・つまり、衰退していないと判断されがちです。しかし実態は、ベテラン層が繰り返し、若者離れという業界の現状を嘆いているだけで、当の若者の声が聞ける機会はめったにありません。

 我慢できずに吐露されたベテランの不安が、一方の当事者若者)が不在なまま、立ち上がっては消え、立ち上がっては消えを繰り返しているので、余計に閉塞感が煽られるのではないかと思います。

RPGは発展します

 TRPGは衰退しているのか、していないのか。言葉定義曖昧なまま、統計によらず、推測のみでものを述べると、また要らぬ水掛け論を呼ぶ恐れがあるので、あくまで個人的に感じていること、として展望を語らせていただきます。

 多くの場合、「TRPGは衰退している」という言説が起こり、それに対して「いや、していない」と返すパターンが多いので、ここでは思い切りオプティミズムに振り切って、「いえいえ、TRPGは衰退どころか、進化していますよ」という極端なエントリを書いて見たいと思います(笑)妄言ドライブが火を吐いた状態で、一気に書き殴っているので、根拠レスな戯言を戯言として楽しめる方のみ、お楽しみください~。

若者が消えたわけではない

 地方のコンベでは若者を見なくなった。社会人になってTRPGから離れた。TRPG系のエントリを回遊すると、そのような衰退を感じさせる話を(私の確認できる範囲だけでも)週に10は見かけます(年間で500近い数です!)。

 では、若者はどこに消えてしまったのでしょうか。

 ここ半年ほどの間、かなりの数のエントリで証言を得ているのですが、「オンライン・セッションを行っている」らしいのです。もちろん、絶対数は減っているのかも知れません(コンベに来ないだけで普通にいるという話も多く聞くので眉唾です)が、相対的な比率で考えると、以前より増しているようなのです。コンベンションと比較して、オンライン・セッションというプレイ形態の割合が、特に若者の間で増していることに、私は一筋の光明を見ました。

 現時点で、TRPGは衰退しているのか、していないのか。それは、私には分かりません。ただ、オンライン・セッションの普及が、TRPG界隈に革命的な変化をもたらす未来は、そう遠くはないと確信しています。

オンライン・セッションの利点と欠点

 〇まず、文字チャットによる、オンライン・セッションの利点を挙げます。

 ●遊び相手を見つけ易い

 (理由:遊び相手は近所の人に限る必要が無く、全国のユーザー対象となる)

 ●集合場所をあまり選ばない

 (理由:音漏れの心配など無ければ、ネット環境が整った自宅で各々プレイできる)

 ●開始時間の都合がつき易い

 (理由:移動の時間や手間が必要ないので、昼夜を問わずに空いた時間を使える)

 ●プレイ以外の点で比較的自由

 (理由:同席に際してのマナーに比較的気を遣わずにすみ、寝転がるなどリラックスできる)

 ●コンベンションと違い卓を選び易い

 (理由:使用するシステムプレイヤーの傾向などを、事前に知ることができる)

 ●ログが残る

 (理由:プレイ中は情報を読み返し流れを把握し易く、プレイ後は鑑賞することができる)

 〇続いて、文字チャットによる、オンライン・セッション欠点と、裏返した利点を挙げます。

 ●空気が読みづらい。反面、発話で失敗しないので、キャラクタープレイの難度は低い

 (理由:顔が見えないので込められた感情と文意が掴みづらい。声が聞こえないので違和感がない)

 ●直感的に扱える手間の少ないツールが使えない。反面、複雑な処理を一瞬でこなすツールは共有し易い。

 (理由:へクスやカードなどを皆の目の前に置けない。ただし、多様なアプリ使用できる)

 ●セッション時間オンセ三倍則と言われるほど長くなる。反面、じっくり考える時間がある。

 (理由:発言のタイミングタイピングスピードによりタイムラグから間が発生する)

 ●大量の情報を素早く交換できない。反面、セッションに支障なく見学雑談が可能。

 (理由:いつでも手間無く細かなニュアンスまで含め、情報を交換できるわけでは無いが、声は出ない)

 ●ルールブックの所持あるいは把握が必要。ただし、オンラインで共有できるものもある。

 (理由:貸し借りできず、質疑は手間。ただ、ネットで公開されたシステムもある)

実は新規参入者はそれなりにいて、心配する必要がないのでは

 よく、TRPGは手間のかかる趣味で、始めにくく、継続しにくいと指摘されます。しかし、実際には、上記のようにインターネットを使うことで、クリアできるケースが多々あります

 遊ぶ相手がいないなら、ネットで探せます。遊ぶ場所がなければ、ネットで遊べます。遊ぶ時間が合わなければ、ネットを用いて都合をつけます。

 さらに言えば、最大のネックである「セッション時間オンセ三倍速と言われるほど長くなる」が、社会人ほど痛手にならない若者学生フリーター)にとって、オンライン・セッションの特性は、福音と呼べるものでしょう。

 もとより、学生同士のつながりや、自由な時間を使って、サークルや身内でのプレイに勤しむことの出来る若者が、コンベンションに顔を出す機会は、社会人ほど割合的に多くなることはありません。加えて、今は前述したオンラインという魅力的な場が用意されているのです。こうした状況も合間って、人口から導き出される絶対数の減少に合わせる程度には、若者が既存の枠組みの中にいる年寄り達からは、見えにくい場所に隠れてしまうことも、また必然と言えるのではないでしょうか。

 上記の理由から、新人不足を理由にTRPGの衰退を語るのは、説得力に欠けると思います。また、専門誌も新作も豊富なこの時代に、新人への対応に不備があるとして、TRPGの衰退を語るのも、いささか無理があるのでは、と考えております。

従来のオンセ社会人福音にならない

 では、一方で「社会人になってTRPGから離れた」と言う人々の存在はどうでしょうか。彼らにとって、従来のオンライン・セッションが、救いの手となることは稀です。

 最大のネックである「セッション時間オンセ三倍則と言われるほど長くなる」が、社会人にとっては、相当な痛手になるため、安易にプレイ環境をオンラインに移行することができないのです。

 日に14時間労働していた頃の私にとって、何時間もかかるオンライン・セッションは、事実上プレイ不可能なものでした。20代前半の体力のある時代には、それでも睡眠時間を削ってまで、2chなどに入り浸って遊んでいたものですが、さすがに今は無理です。

 さらに、オンライン・セッション時間無駄にせず、セッションに集中するためには、いくつかのコツがあります。行動宣言やシナリオを予め書いておくこと。ルール等その場で質問するかも知れないことは予め確認しておくこと。次に誰が何について発言するべきか明確にしておくこと・・・。

 これらが出来ていない参加者が一人でもいた場合、セッションは恐ろしくもどかしいものとなります。ですから、オンライン・セッションのコツは、いわば必須の技術として認識され得るものであることを、経験者の方に対しては、説明するまでもないでしょう。

 この必須とも言えるコツの有無が、セッションの成否にさえ関わる現状を鑑みるに、オンライン・セッション社会人への敷居は、ますます高いものとして感じられます。

社会人は切り捨てられてきた

 では、十分なプレイ時間をとれないために「社会人になってTRPGから離れた」と言う人々は、残念ながら、切り捨てざるをえないのでしょうか。

 実は、まったく、そうではありません。むしろ、この「社会人になってTRPGから離れた」と言う人々を呼び戻す環境が整いつつあるために、TRPGを取り巻く環境は、さらなる進化をとげようとしているのです。

智場 #111 人のつながり −理論,社会,インターネット

 国際大学GLOCOM研究員の井上明人氏は、コンシューマー・ジェネレイテッド・メディアの成否を握るのは、サービスの受動的ユーザーの獲得(新人獲得)とともに、中間層に位置するユーザーの活躍にあるという仮説を述べています。

 シムピープル開発者として世界的に知られている、ウィル・ライト氏が提示したモデルによると、受動的にゲームを楽しむ一般的な大半のユーザーの中から、数パーセントマニアックな中間層プレイヤーとなり、さらにそのうち数パーセントが、ファンサイト管理者や、各種クリエイターとして、コミュニティに高い貢献をもたらすとされています。

 いくら新人が増えても、その上の中間層が薄く、クリエイターなどの上部に位置する人々が幅を利かせている場合を想像してください。クリエイター層(TRPG業界に従事するプロライターなど)がTRPG界隈において何かを成し遂げても、「すごい人がいて面白そうだ。でも自分には真似できない」と思われてしまい、敷居を下げることができません。ウィル・ライト氏が提示したモデルと違う歪な構造になってしまい、結果として、TRPGは衰退へと向かうかも知れません。

 そこで、初心者ロールモデルとしての役割を果たし、初心者にTRPG楽しみを教えるガイドとしての役割を果たし、さらに、高価値、あるいは多様なコンテンツを用意することで、TRPG全体に多義性や奥行きを持たせる中間層が、上と下とをつなぐ必要があるというのが、ここでの結論になります。

 TRPG界隈における中間層とは誰でしょうか。老害と呼ばれるまでTRPGにこだわり、地域のサークルに残ったベテランではなく、社会人になることで受け皿を失い、TRPGから去っていった、あの諸先輩方ではないでしょうか。

初心者離れではなく、社会人のTRPG離れこそ、閉塞感の要因

 つまり、ライトなファンではなく、かといってコア過ぎず、時間を割いて、労力を払ってまでTRPGを続けることは出来なかった、「社会人になってTRPGから離れた」と言う、マニア的な中間層に位置する人々の減少こそが、TRPG業界に閉塞感をもたらす要因であった、という見解を、ここに示させていただきます。

 そのうえで、ネットを介してカジュアルフォーマルの中間に位置するプレイグループが出現し、音声通話によるセッション環境が整いつつある今は、上と下とをつなぐ人々が、プレイを行う受け皿を得て、再び活躍するチャンスが巡ってきたと言えるわけです。

 遊ぶ相手がいないなら、ネットで探せます。遊ぶ場所がなければ、ネットで遊べます。遊ぶ時間が合わなければ、ネットを用いて都合をつけます。

 セッション時間をかけられない? 大丈夫skypeによる音声通話なら、オフと同じ時間プレイできます。しかも、移動時間まで短縮できるのです。

 PC所持の有無や、回線の問題は、ゲーマーズフィールドでオンライン・セッションが特集された時代よりも、遥かに整っています。声が漏れて不審に思われる心配も、一人暮らしの新社会人にはありません。

 遊ぶ相手がいない。遊ぶ場所がない。遊ぶ時間がない。けれども、あの頃の情熱は忘れてなんかいない、という人が、もしこのエントリを読んでいたなら、一緒に遊びましょう。私と貴方の距離は、既にプレイを妨げるものではありません。いつでも、TRPG SNS CLUBにいらしてください。歓迎いたします。

RPG進化とは何か

 新作が次々と発売されていくなかでも、変わらず衰退の懸念がされ続けるTRPG業界において、真の変革をもたらすモノとは何でしょうか。真新しいシステム?専用のチャットシステム?どのTRPGも、素晴らしいもののように感じられます。特にTRPG業界に関わる人々からは、TRPGに対する愛を感じます。プロの方々は、本当に素晴らしい商品を、我々ユーザーに与えてくれます。

 では、イノベーションは起きていたでしょうか?

 TRPG世界イノベーションが起きて、今までの枠組みにない新しい価値が生まれたと消費者が感じた動きは、幾つあったでしょう。新しい価値を感じれば、買う人が増えるかもしれません。そうでなければ、ターゲットは従来のファンのみの範囲になってしまうでしょう。

 私は、今まさに、ネットを介した人々のつながりが、構造的変化をとげる中で、プロによらず、アマチュアに端を発する市井の変革が起きようとしているのでは、と考えています。

 ニュースクール大学院教授池上英子氏は、著書「美と礼節の絆」の中で、ネットワークがある種の閾値を越えたときに大きな力を持ち、江戸時代においては、俳諧のような趣味を通じたコミュニティ間の、地域や身分を越えたつながりこそが、その変数として機能したと述べています。TRPG界隈においてのそれは、長らくTRPGサークルかと思っておりましたが、ここに来て、私はカジュアルフォーマルの中間に位置するプレイグループや、音声通話による地域の垣根を越えた、まさに新しい「つながり」こそが、それに当たるのではと考え始めているのです。

 我々アマチュアが、つながりを持って、中間層の受け皿を作るなり何なり、様々な活動を行うことで、TRPG世界において、とんでもない進化が起こるかも知れません。

紙魚砂紙魚砂2008/07/16 21:07どうもです。

基本的に同意なんですが、ネットのコミュニケーションは文字主体だから良いという側面もあると思ってて、それが画像&音声によるコミュニケーション手段が確立するまでの過渡期的現象なのか、あるいは画像&音声によるコミュニケーション手段とは別のスタイルとして残るのかどうかというところに興味があります。ぶっちゃけskypeはどうも苦手というか^^;。目の前に人がいないのに口でしゃべるのが嫌というかw

テキストに書くと音声変換してくれるとか音声を文字チャットとして記録に残してくれるとか相補的な機能が付くといいかもしれません。テキスト主体だと外国人ともやれる?とか、話すことが出来ない人ともやれるとか、そんなのはあると思います。

inouekariinouekari2008/07/19 05:44相補的な機能ですか。うわー、夢が広がりますね。素敵なアイディアに触発されて、楽しい想像が膨らみました。ありがとうございます。文字主体のコミュニケーションの今後も、興味深い話題です(>過渡期的現象なのか)。私自身、今までのネットにおける文字主体のコミュニケーションに対して、愛着を抱くと同時に、その良さを体感してきたものですから、できれば別スタイルとして残って欲しい気持ちがあります。Aの魔法陣は文字チャットと相性が良いですし、シルバーレインも工夫されたシステムであると伺っています。文字チャットの良さを活かす方向で(マスタリング、プレイ・テクニック、システム・デザイン、環境作りなど)の可能性は、まだまだ広がると思います。紙魚砂さんが時折エントリで公開されている、オンセのノウハウを読むたびに、いつも新しい気づきを得て、ノウハウの蓄積された環境が整えば楽しそうだなぁ、と思いますし。逆に、これから画像&音声によるコミュニケーション手段を模索しようと考えている立場から言うと、これこそ新しいTRPGのスタイルとして広めたり残したりできるものなのか、不安に駆られる気持ちの方が強いです(笑)。実際、TRPG界隈における著名な方々が、数年前から折にふれ、音声通信の良さをアピールしているにもかかわらず、まったく広まっているように見えない(一部の人々は使っていますが、TRPG界隈においてスタンダードとはとても言えない)わけで・・・。いろいろと理由があると思いますし、それをひとつずつ解決していかねばと考えているところです。うーん。これからのネットとTRPGが、どのように変化していくのか、考えるだけでわくわくしてきました。

2008-07-01

[]TRPG SNS CLUB 03:34

 地域の垣根を越えた、プレイグループに参加してみませんか?

 このたび、TRPG SNSで、オンライン・セッションの、サークルコミュニティを作りました。無料のツール(skype)を使い、全国のTRPGゲーマーと、音声による通信でTRPGを行います。

 「TRPGしたいけれど、近くに仲間がいない」「どこかにプレイする場所があれば・・・」と御悩みの方は、よろしければ一緒にゲームをしましょう。もちろん、プレイする環境が既にある方も大歓迎です。

 コミュニティに参加したからといって、セッションに参加する義務はありません。参加したい卓の募集がかかるまで、様子見でもかまいません。こっそり退会するのもOKです。気軽に来てくださいね。

[]キャラクターらしい台詞をビシッ!と決める裏技 03:34

 格好の良い台詞って、言えていますか? 私は、キャラクターらしさを引き出した、煮えた台詞や、萌えな台詞を、ここぞという場面で発言して、物語に彩りを添えたり、引き締めることができたなら、とても充実した気分になれます。

 贅沢は言いません。セッションの中で、一度だけでも良いのです。自分自身が「ここぞという場面で確り決めた!」と確信できれば、満足できます。そして幸いなことに、それが皆の認める良い演出として受け入れられたなら、素晴らしい事だと思います。

 その場に欠けたピースを見つけ、確りと填め込んだ瞬間の喜びはひとしおです。TRPGプレイヤーである貴方になら、共感していただける感覚かと思います。

上手い人もいます

 しかし、残念ながら、私は巧いプレイヤーではなく、頭の回転も遅いので、「あー、あの時この台詞が言えていればなぁ」と、後になって後悔するタイプです。

 一方で、例え凡庸な展開であっても、一転して楽しいセッションであったと、後に振り返られるほど、その場を盛り上げ、記憶に刻まれる瞬間を生む、魔法のような言葉を紡ぐプレイヤー存在するものです。

 また、攻殻機動隊登場人物のごとく、電脳なみの膨大なデータベースから、的確な引用部を引っ張り出して、滔滔と雄弁を揮うベテランも、確かに存在します。

 貴方の周囲にも、覚えのある顔が浮かぶのではないでしょうか。ひょっとすると、貴方自身が、そのような天才肌、あるいは経験に長けた方なのかも知れませんね。

 今回のエントリでは、天性の閃きを身につける方法を御教えすることはできませんが(できるなら私が既にやっていますw)、頭の回転や、膨大な知識など無くても、誰でもピースを埋めるべくトライできる、あるコツを紹介します。

 巧い人が無意識のうちに、当たり前に行っていることを、意識的に行うことで、初心者の方にも、その醍醐味を味わうチャンスが開けてきます。キャラクタープレイに苦手意識を持つ方は、読んでみてください。一緒に「ここぞという場面で確り決めた!」という達成感を味わいましょう!

 煮えた台詞。一度は主人公的に語ってみたい名台詞。

煮えた台詞をやらないか - ププププーさんのゲームブック日誌

ひとつ、こいつは鉄板だろ!ってな確信があるテをちょっと語ってみます

烏賊学研究所・二号館 Repeat after You !

 上記エントリのように、使えそうな台詞を、予め脳内に先行入力しておく方法と、プレイ現場で材料を見つけ、上手く加工する方法は、とても有効です。要領の良い方ですと、この二つのエントリを読んだだけで、脱初心者を果たしそうですね。

 しかし、これを実践した場合、なかなか難しいと感じられる方も多いのではないでしょうか。

 貴方には、このような経験は無いでしょうか。例えば、キャラクターメイク時に、今回はこんなキャラクターで行こうと、そのキャラクターらしい振る舞いや、発言を想像して、一人でニヤニヤしていたのに、プレイが始まってみると、どうも、しっくりと「らしい」プレイができない・・・といった経験です。

 そのような経験が御有りなら、それは、予め、こんな台詞を言おう・・・と用意していく行為が難しいと感じられる要因に、通じるものがあるかも知れません。

 試しに、やってみると分かりますけれど、こんな台詞を言おう・・・と準備して行っても、その台詞を使うに相応しい局面が、巡ってこなかったり。多少アレンジして場に沿うように使っても、しっくりこなかったり、周囲の反応が微妙だった・・・なんて状況に陥る人も、かなりの割合で現れると思うのですよ。

何故、上手くいかないのでしょうか

 何故なら、こんな台詞を言おう・・・と考えたとき、人はその台詞が、栄えるに相応しい状況の中で使われた場合に得られる高揚を想像します。必然的に、ある状況の中で栄えた台詞から得た高揚を再現、あるいは模倣するためには、ある「状況」と「台詞」から抜き出した要素をセットにして再現、または模倣する必要があるのです。

 なので、台詞だけ用意しても、効果的に使える状況に巡りあえなければ意味がありません。多少アレンジして場に沿うように使っても、しっくりこないのは、栄えるに相応しい状況の中で使われた場合に得られる高揚を想像していたためです。

 また、使える状況が来たと思っても、逸る気持ちを抑えて冷静に判断しなければ、使い時を間違えて、シーンプレイヤーの御株を奪い、空気の読めない人という烙印を押される可能性があります(笑)。それだけ力のある台詞を使おうとしているわけですから。

 要するに、台詞だけ用意しても、使い時が難しいわけです。いわんや、プレイ現場で材料を見つけ、上手く加工するという、アクロバティックな機転を利かせつつ発言のタイミングを探るなど、かなりの高等テクニックと言えます。とはいえ、使い時も考えておくとなると、可能性として無限の展開があり得るTRPGにおいて、「ここで使おう」と前もって考えておくことは至難であるように思われます。

仕込むポイントがあります

 ところが、実はTRPGには、確実に自分にスポットがあたり、発言する権利を得る局面があります。しかも、ある程度は状況を予測できるというオマケ付きで。まさに、予め台詞を用意するに、うってつけの場面ですね。

 その局面とは、「判定の機会」です。

 貴方キャラクターは、役割分担上、何が得意でしょうか? 判定が行われる機会があるとすれば、当然、(シーンプレイヤーに対してではなく)判定している貴方と、貴方キャラクタースポットがあたります。貴方キャラクターの持つ能力や、技能から導き出される、このセッションにおいて予測される判定の機会こそが、予め仕込んでおく絶好のチャンスと言えましょう。

 例えば、調査系の能力の高い老練なキャラという設定なら、調査に関する判定時に合う、それらしい台詞を考えてみてはいかがでしょうか。もちろん、判定が成功ばかりするとは限りません。失敗しても、それらしい台詞を言えると、より、キャラクターらしくなります。調査に失敗しても「絡まった糸を、早くほぐすには方法がある。慌てずに、絡まった手順を考えて、糸口を順に追っていけば、割合簡単に解けるものだ。手順が分からないままに、急いで解くと、糸はますます絡まる」などと、それらしいことを、しれっと言わせましょう(笑)

 また、お気づきかも知れませんが、何も得意な判定の機会ばかりに、仕込む必要はありません。弱点も演出のチャンスです。HPが低いなら、瀕死になる(大きな傷を負う)チャンスに恵まれているわけです。死に際の台詞を用意しておけば、使う機会があるかも知れません。少なくとも、HPの多い後衛キャラよりは。

周囲を見回してください

 さらに、一歩進めますと、他のキャラクターが行う判定の機会は、他のキャラクターと絡む演出を行うチャンスでもあります。この場合、判定時にスポットがあたるのは、他のキャラクターなわけですから、なるべく相手を引き立てる、短い描写が良いでしょう。

 力自慢のキャラクターに「凄い怪力だ」と言って驚愕したり、軟派なキャラクター女性NPCに対抗判定で負けたなら、「こんな時でも女に弱いんだから」と茶化してみせる。どちらもプレイ中に起こり得ることですが、予め「らしい」台詞を仕込むのなら、前者の方が「らしく」発言するチャンスが訪れ易いのではと、効率を考えて仕込むと、なお良いと思います。

 どうでしょう。格好の良い台詞、らしい台詞、言えそうですか?

 キャラクターデータから導き出されるプレイ中の行為を、演出に関連づけるという、この一連の手法は、ある程度の経験者であれば、無意識のうちに行っていることです。

 ですが、私のように、どうにも下手であったり、勝手の分からない初心者の人であったりしても、「凄いなぁ」と感嘆と賞賛で終えるのではなく、意識的にこれを行って、上手くいったときの楽しさを味わう為に、自分なりのレベルトライできるのが、TRPGの良さではないかな~、と思っています。

2008-05-29

[]良いプレイを行うための 三つの秘訣 12:08

 良いプレイとは、何でしょうか。

 ルールを最大限利用して、効率よくゲーム目標を達成することでしょうか。GMを助けて、セッションスムーズに進行させることでしょうか。はたまた、PLの注目を集める鮮やかな手法で、ゲーム物語において、劇的な瞬間を演出することでしょうか。

 上記のプレイのどれもが、良いプレイに当たるような気がします。しかし、ネットを回遊していると、良いプレイを行おうとして気負ったり、自分は良いプレイができないのでセッションに参加する資格がないのでは・・・と危惧する方がいらっしゃるようです。

 そのような人達に対して、私は、以下のようなアドバイスを送りたいと思います。

 「安心してください。それは良いプレイと言うよりも、巧いプレイと表現した方が、しっくりくると思います。何も、初めから巧いプレイをしようなどと、気負う必要はありません。難しいことにチャレンジして、ゲームを楽しむ余裕を失ってしまうことは本末転倒でしょう。TRPGは遊戯です。遊戯の目的は、楽しむことです。一緒にゲームを楽しめる、良いプレイを目指してみませんか?」と。

 私が漠然と「良いプレイ」という言葉を使う場合、良いプレイとは、良いコミュニケーションのことだと考えています。ですから、良いプレイを行うということは、良いコミュニケーションを行うことを意味します。

良いコミュニケーションとは何か

 エリックバーン博士確立した、交流分析という心理学の手法を御存知の方は多いと思います。その中に、ストロークという考え方があります。ストロークとは、「自他の存在認知、人から人への働きかけ」のことです。具体的には、握手をする、肩を抱く、抱きしめるなどスキンシップによるもの。挨拶をする、話しかける、褒める、励ますなど言語によるもの。頷く、見つめる、傾聴するなど非言語によるものがあります。そして、ストロークプラスマイナスの二種類の性質に分けられます。

 以下、プラスストローク

 話しかける・褒める・同意する・励ます・任せる・感謝するなど

 以下、マイナスストローク

 けなす・無視する・否定する・反対する・いやみを言う、ひにくを言う・疑うなど

 人は、好かれたい、大切にされたい、自分の存在価値を認めてもらいたいという、欲求を抱いています。これらの欲求は、プラスストロークを獲得することで満たされます。プラスストロークが行きかう円滑なコミュニケーションが実現すれば、楽しいプレイを行うための土壌を築くことができます。ですから、良いコミュニケーションとは、プラスストロークを基礎とした交流から生まれます。

 私は巧いプレイを行えるほどの腕はありません。なので、せめて良いプレイが行えるようにと努めています(まあ、実際には下手なうえに悪いプレイばかりしてしまうのですがorz)。そんな中で、良いプレイを行うには、「視線をおくる」「目線を合わせる」「視点を意識する」という、三つの秘訣があることに気がつきました。

 このエントリでは、良いプレイを行うための、それら三つの秘訣について、御話させていただきます。

rurierurie2008/05/30 16:53失言小町ナツカシスw

inouekariinouekari2008/05/31 00:39名エントリだったのですが、移転してアーカイブからも消えてしまったのが残念です。失言小町ほど過激な必要はないのですが、コミュニケーションに着目し始めてから、上記エントリに書き出したことくらいは、気をつけておくべきだなーと自戒しました。技術的に上手くやろうとするより、楽しくコミュニケーションしようとする姿勢の方が、今の自分には大切に感じられます。それが、ここ一年で浮かび上がった課題ですね。

童貞童貞2008/11/27 12:56童貞でよかったです。

inouekariinouekari2008/12/04 04:35魔法使いですね